THE ASSOCIATION

OF MATHEMATICAL

INSTRUCTION
OKAYAMA-SOUTH

岡山/県南/算数の会 AMIOS

Last update:2017年9月6日

わかって楽しい 科学としての算数教育を!

 数学教育協議会は、略して「数教協」とも言います。

 その歴史はとても古く、1951年に創立され、優れた理論と実践を創ってきました。今では、全国各地に多くの実践家や研究者等がいます。

 この数教協には、算数・数学教育に関心があれば、誰でも入会することができます。あなたのご参加を心よりお待ちしています。

 数学教育協議会は、1951年の創立以来、常に革新的に研究活動と実践を行ってきました。そして、半世紀を超える年月の中で、数々の研究・実践の成果と言えるものを生み出してきました。

 ここでは、数教協が到達した算数・数学教育についての主要な諸原則を簡潔に紹介することで、数教協の紹介に換えることとします。(以下の記述は、『数学教育の諸原則 ─数教協の成果─』(1984年 数教協刊)をもとにして加筆・編集したものです。)

Epilogue

 数学教育協議会は長年の研究活動の中から、数学教育に関するいくつかの重要な原理と方法とを生み出し発展させることに成功しました。これらは現実に教室で試され、その結果、次第に高く評価され、日本の数学教育にかなりの影響を与えるに至っています。

 特に、《量の理論》といわゆる《水道方式》とは大きな成果を上げています。また近年に至って、数教協は《楽しい授業の創造》を提唱しましたが、これは先の原則ないし方法を成功させる裏付けともなっています。

 《量の理論》は、数とその四則の意味を明らかにするとともに、数学を外界に適用する道を開き、初等数学を微積分学と結び付けます。

 一方《水道方式》は、それらの計算の手続きに注目し、それらを徹底的に分析して体系化することに成功しました。このような試みが、他の何人によってもなされなかったとは驚くべきことです。これらの手続きの説明には、タイルを教具ならびにシューマとして利用しますが、これは、上述の量と計算手続きとを結び付けるものであり、子どもの理解および習熟に大きな役割を果たしています。

 これらに対して《楽しい授業》は、数学理解の主体的条件に着目します。これによって多くの教具、ゲームが考案され、実験や実測が遂行されています。

  アメリカの記号理論で有名な言語学者チャールズ・ウィリアム・モリスの用語を借りて要約すれば、これら3つの原則は、それぞれ数学教育の意味論的側面、構文論的側面、実践論的側面に当たるとも言えるでしょう。

量の理論

●量の理論の発端

  数教協は1951年の創立以来常に、量から数を、そして量に対する扱いから数の演算を導くことを主張してきました。この主張を発展させて、体系的な《量の理論》を提唱したのは、その数年後の1958年のことでした。

 当時、教育課程は生活単元学習からいわゆる系統学習に変えられようとしていましたが、同時に小学校教育においては割合や分数の乗除の問題が、中学や高校教育においては微積分学をどう扱うかが議論されていました。こうした数学教育にとって枢要な問題を一刀両断に解決する1つの鍵として、当時委員長であった遠山啓によって《量の理論》が提案されたのでした。その後、この理論は数教協の多くの研究者・現場教師によって深められ発展させられ、今日では、数学教育を支える大きな支柱の1つとなっています

●数えることからか、量からか

 「数」を教えるのに、数えることから始めるという方法が広く行なわれています。しかし、数えるためには、まず「数を唱える」ことが必要であり、それは結局、子どもに数詞の系列「いち、に、さん、……」を覚えさせることから始めざるをえません。数詞を覚えるのは、順序数を習得することにはなりえても、「大きさ」を表わす数、すなわち集合数の理解には直接はつながりません。

    集合の要素の1つ1つを数えることによってその集合の「大きさ」を知るというのは、集合の要素と数詞の系列とを1対1に対応させ、唱えられた最後の数詞によって集合の「大きさ」を捉えようとするものです。

 しかし、この手続きは、一見するほど単純でもなく基本的でもありません。第1に、このためには1対1対応の動作ができなくてはならないし、第2に、最後に唱えた数詞がそれに対応する要素にではなく集合全体に帰属させられるものだという認識がなくてはなりません。しかしこれらのことは、集合の「大きさ」という概念を理解していない限り不可能でしょう。集合の「大きさ」を知るのにそれを前提としなければならないということは、明らかに循環論ないしは《論点先取り》です。

 「数」を教える場合には、その前にまず、別々に用意された2つの集合の要素の間の1対1の対応が試みられなくてはなりません。それができた場合には、その2集合は同じ「大きさ」をもつわけで、「大きさ」という点からは区別ができません。「数」(自然数)の概念は、こうした1対1に対応する集合の類の属性として生まれてくるものです。

 ところで、具体物の集合からいきなりこうした抽象的概念に行くのは、子どもにとって大きな飛躍であり、どうしてもこの飛躍をみたす適当な仲介物が必要になります。そうした仲介物は、「大きさ」以外の属性(ある事物に属する性質•特徴)を無視できるような典型的具体物であることが望ましいのですが、数教協はそのために正方形状の板の集合を選び、それを「タイル」と呼んでいます。また、タイルの図や子どもの胸中に生じるそのイメージを「シェーマ」と名づけています。

 タイルは数図(円板、棒、貨幣)などと違って、厚紙から容易に作ることができるだけでなく、容易に結合して1つにすることができます。これによって、10個のタイルを1つにつなげて「十」を表わす1本の棒にし、10本の棒を1つにつなげて「百」を表わす1枚の大きな正方形にすることができます。また最近は、5のタイルも使われています。

 この情況は、数の十進構造を表わすのに極めて都合がよいのです。すなわち、2枚3本4個のタイルがあったとすると、それは十進記数法

2 3 4

を表わします。(詳しくは、次章参照。)

 このようにすれば、数は量(大きさ)から導かれるだけでなく、位取り記数法も子どもに明確に理解されます。(この位取り記数法によって筆算を体系化したものが水道方式です。)

 子ども達は、最初は実際にタイルを手で操作し、後にはタイルをノートに描くことによって、数を扱う場合に頭の中にタイルのイメージを描くようになり、数の概念を具体的に持つことができるようになります。このようにして、タイルと数詞と数字の相互転換ができるようにすることが、数の学習の第一歩です。(三者関係)

 諸外国の本にはタイルの図が出ているものもありますが、タイルを数認識の基本的なシューマとして全面的に活用しているものはあまり見当たりません。実はこの点が重要で、タイルは数の基本的性質である「一と多の統一※」を表現するのに最も適しており、したがってまた正にその性質によって、自然数だけでなく、小数や分数のシェーマにもなりうるものです(一から多)。

「一と多の統一」:物は、諸性質が前面に押し出された「多」の側面と、単一体としての物という「一」の側面を持つ。「一」とみれば、諸性質は相互排除し統一を阻害するものとして締め出される。「多」とみれば、諸性質は「もまた(純粋な普遍)」によって発現する。(ヘーゲル『精神現象学』による)

●量の分類

 以上で、自然数が量から導かれることについて述べましたが、それ以上進むためには、各種の具体的な量をもっと詳しく調べてみなければなりません。その第一歩として、量の分類が必要になります。

 りんごや小石のように、一つ一つの要素が明確で互いに離ればなれになっているときは、それらを数えることによってそれらが「いくつ」あるかを知ることができます。このような集合の「大きさ」を分離量とよびます。分離量では、その単位は初めから明確で、単位以下へ量を分割することは考えられませんから、その「多さ」を表わす数値(自然数)は既述のようにはっきり決まります。

 これに対して、液体や木材はつながって一体をなしていて、どんなに細かくも分けられるし、どんな二つも結合されてより大きな全体になります。このような集合は「連続体」と呼ばれていますが、液量や長さのような「大きさ」が連続量です。連続量では、その単位(例えば長さの単位はメートル法以外にもたくさんある)と対応する数値とはあらかじめ決まっているわけではありません。これが分離量と連続量との決定的な違いです。

                  量 には 分離量 と

                       連続量 がある

 したがって、最初から既成の単位を持ち出して(例えば、物差し、秤りなど)、その目盛り読みを練習するようなやり方では、単位がどのようにして生れてくるかを正しく理解させることができません。(これについては後に詳述。)

 次に連続量はさらに、「広がり」あるいは「大きさ」を表わす外延量と、「強さ」あるいは「質」を表わす内包量とに分けられます。

                連続量 には 外延量 と

                       内包量 がある

 面積、体積、液量、重さなどは外延量であり、密度、速度、温度などは内包量です。例えば、2つの容器にはいった食塩水を1つの容器に入れる(合併する)と、重さはおのおのの重さの和になります。これに対して、各容器の食塩水の濃度が例えばそれぞれ8%と5%であったとすると、合併された食塩水の濃度は8%と5%の和とはなりません。すなわち、食塩水の重さは合併に際して和になりますが、濃度は和にはならず、むしろ平均化されます。

 一般に、量mというのはもともと物体Aの1つの属性と考えられますから、m(A)と書くことができますが、外延量は加法性

       A∩B=∅なら m(A∪B)=m(A)+m(B)

を持っています。ところが、内包量はそうした性質を持ちません。つまり、内包量に対しては、

       A∩B=∅から m(A∪B)=m(A)+m(B)

が出てきません。

●外延量の単位の設定

  外延量を数値化するには、まず単位を設定しなければなりません。単位の設定は一般に次の4つの段階を経て行われます。

  いま長さを例にとれば、例えば棒の長さの認識は、まず「どちらが長いか」という比較から始まります。2本の棒の長さは、端をそろえて並べれば直ちに判定できます。これが直接比較です。

 2本の棒が動かせず、しかも端がそろっていない場合には、直接比較はできません。この場合には、持ち運びのできる適当な長さの棒Cを媒介として長さを比較します。このとき、A<C、C<Bならば、推移律によってA<Bであることが判定できます。ここには知覚だけでなく、時には論理的な判断も働かなくてはなりません。これが間接比較です。

 媒介とする棒CがA、Bのいずれよりも短い場合(C<A、C<B)には、A、Bの長さは比較できません。この場合には、A、BからCを引いた残りのA-CとB-CとをCと比較します。そして、A-C<C、C<B-Cならば、A<2C、2C<Bとなり、これからA<Bであることが判定できます。一般には、同様の操作を何回かくり返してA<nC、nC<BとなればA<Bであることが判定できます。

 これは間接比較の発展であり、そこに単位発生の萌芽がみられます。

Cの選び方によっては、(n一1)C<A、(n-1)C<Bであって同時にA<nC、B<nCといったことが起こりうるのですが、そうすると、AとBとの比較は不可能になります。こうした場合には、Cはより小さいものに変えられなければなりません。

 こうした過程を踏むと、最終的にはAが適当なCによって分割されるという考えが生まれます。このCが個別的な単位です。この単位Cによって、Aはいくつかの単位に等分され、一種の分離量と化したものとみなされます。以上が、測定の第一段階です。

 しかし、個別単位というのは、その場合その場合にしか通用しませんから、ごく狭い範囲に使えるだけです。社会の規模が大きくなるにつれて、より広い社会の全成員に共通に使える単位が必要になってきます。これが普遍単位です。例えば、メートル法はそのような普遍単位の体系で、ほとんど全世界中に通用します。

 こうして、外延量の単位は、次の4つの段階をへて導入されることになります。

直接比較→間接比較→個別単位→普遍単位

  このことは同時に、人類の量認識の発達過程をも示しています。生徒に数学を教授する際にも、子どもにこの4つの段階を順に経験させる必要があります。ところが、既成の単位をいきなり与えるような教授法では、分離量と連続量との本質的な違いをわからせることもできなければ、連続量(外延量)の単位導入の意味を理解させることも不可能でしょう。

●外延量の数値化

 単位が決まれば、外延量をその単位で測ることができます。すなわち、外延量をいくつかの単位に分割し、その単位の数を数えて量の「大きさ」を数値として表わすことができます。しかしその場合、連続量では、端下がないように測り切れることはむしろ稀ですから、そうした端下(小数部分)をどう処理するか、それをどう測るかが次の問題になります。

 一つは、小さい単位(普通は単位を十等分しておく)を前もって用意しておいて、それで端下を測ります。そこでさらに端下が出たら、分割された小単位をさらに小さい単位に細分しておいて、これで新しい端下を測っていきます。こうした手続きは際限なく続けられ、理論的には、連続量は無限小数で表わされることになります。しかし、初等教育においては、この手続きは適当なところで止めればよく、それによって、連続量は通常の有限小数で表わされるとしてよいのです。

 小数の本質的な特徴はこれらの補助的小単位が、測られる対象の与えられる以前に、事前に存在しているという点にあります。

 もう一つの方法は、単位と測ろうとする対象とをともに測り切るような共通尺度をみつけようとします。初めの単位がこの共通尺度(1/n)のn倍で、対象とする量が共通尺度のm倍ならば、その連続量は分数m/nによって表わされます。例えば、

 分数の本質的な特徴は、この共通尺度が、測られる対象が与えられてのちに定まるという点にあり、これが小数と分数との基本的な違いなのです。だから、小数とはより一般的な分数の特殊な場合つまり十進分数にすぎないとする考えは根本的に誤まっています。

 このような共通尺度を求める有効な方法によく知られたユークリッドの互除法があります。無論、共通尺度の存在しない場合もありますが、そのときは、互除法の手続きは際限なく反覆され、測られる量は無限連分数、つまり無理数で表わされます。しかし、初等教育においては、互除法の手続きは適当な段階で止めてよく、有限連分数で表わされるとして十分です。いずれにしても、連続量は普通の分数によって表わされるといってよいのです。

     分離量↔自然数

     連続量↔小数または分数(より一般的には実数)

 こうして、連続量を数値化することから、小数または分数を考えなくてはなりません。いいかえると、小数や分数は、連続量の測定から生み出されます。

●内包量の数値化

 外延量の数値化は知覚による直接比較から始まりましたが、内包量についても同じことがいえます。これを速さ(速度)を例にとって説明しましょう。

 2人の走者の速さを比べる最も原始的な方法は、2人が同時に同じところを走って、先に着いた方が速いと判定することでしょう。これは速さの直接比較にあたります。しかし、2人の走者が別なときに別なところを走ったとすると、こうした比較はできません。そうしたときには、単位時間あたりに走った距離を比べますが、その際には、時間の数値化と距離の数値化とは必然的前提とされます。例えば、走者Aが100mを12秒で走り、走者Bが80mを10秒で走ったとすると、毎秒あたりに走った距離はそれぞれ、

       A:100m÷12s≒8.3m/s

       B:80m÷10s=8m/s

で、Aの方がBより速いと判定されます。

 こうして、内包量mの数値化は2つの外延量の除法

       m=y/x

によって可能となり、その単位はこれら2つの外延量x、yの単位を組み合わせて得られます。例えば、m/sは速度の普遍単位の1つです。

 一般に内包量では、分母にあたる外延量を(問題になっている内包量の)「土台量」または「基量」といい、分子にあたる外延量を(問題になっている内包量の)「分布量」または「総量」と呼びます。

 内包量は、その「土台量」の性質によってさらに分類されます。すなわち、「土台量」が時間である場合には、対応する内包量はその「分布量」のある一様な変化の速さを表わし、それ以外、つまり「土台量」が(長さ、面積、質量などの)空間的な量である場合には、対応する内包量はその「分布量」の「土台量」上への何らかの均等分布の濃さを表わしています。

       内包量 濃さ↔均等分布

           速さ↔一様変化

●量と数の演算

 量から数を導くべきであることはすでに述べたとおりであるが、量の理論では、数の演算もまた量に対する操作から生まれてくると考えます。

 これも既述のように、外延量は加法的であるので、同種のどんな2つの外延量も自由に足したり引いたりできますが、種類が違うと、足すことも引くこともできません。数の加法や減法は、こうした量に対する演算から導き出されると考えられます。

 加法や減法が同種の量の間でのみなされるのに対して、乗法や除法はむしろ異種の量の間で行なわれ、第3の新しい量をつくり出す力をもっています。例えば、すでに述べたように、

       長さ[m]÷時間[s]=速度[m/s]

です。これの逆算を考えると、

       速度[m/s]×時間[s]=長さ[m]

のような乗法が生まれてきます。他の種類の量についても同様なことが言えます。例えば、

       質量[kg]÷体積[d㎥]=密度[kg/d㎥]

       密度[kg/d㎥]×体積[d㎥]=質量[kg]

です。これらは、一般的に次の形にまとめられます。

       外延量(y)÷外延量(x)=内包量(m)(1)

       内包量(m)×外延量(x)=外延量(y)(2)

 乗除の型にはこの他にもありえます(「外延量×外延量」である面積のようなものや、倍つまり「外延量×数」のように純粋数をかけるものなど)が、それらと比べても、上に述べた型の乗除(1)、(2)は最も典型的なものであり、整数はもちろん、小数や分数にも(そして実数にも)一貫して適用することができます。
 以上のように考えると、加減乗除の四則が併立していると考え、同時に教えようとするのは正しくありません。加減は低学年で外延量と結びつけて指導し、乗除は高学年で内包量と関連して教えられるべきです。

 数の計算はできるのに実際問題になると解けないという生徒が多いのですが、その理由の一端は、今まで述べてきたような、量の構造的分析にもとづく指導法が確立していないためとみられます。

●量と比例

 数教協の量の理論が、もともと比例の指導の問題から生まれてきた事情は、初めに述べました。例えば、

  「a[m]でb[ℊ]の針金は、c[m]では何ℊか?」

という問題は比例の典型的な問題ですが、これについて、日本では従来次の2つの方法のいずれかで指導されていました。

(1)求める針金の重さをx[ℊ]とすると、a[m]のc[m]に対する比は、b[ℊ]のx[ℊ]に対する比に等しいのです。

       a[m]:c[m]=b[ℊ]:x[ℊ]

 よく知られた内項の積は外項の積に等しいという比例式の法則によって、これから、

       a[m]×x[ℊ]=c[m]×b[ℊ]

で、これから、

が得られます(いわゆる《三教法》)。

 この方法は、代数的には何とか説明しえても、算術的にはあるいは量としては、解決しがたい難点があります。特に、途中に出てくる積c[m]×b[ℊ]の意味は量的には理解しがたいのです。

(2)c[m]をa[m]に比べると、そのc/a倍であるから、求める重さx[ℊ]もb[ℊ]のc/a倍で、

となります(倍比例)。

 この方法が理解できるためには、前もって、整数倍だけでなく分数倍ということについて学んでいなければなりませんが、分数倍の概念は、普通の整数倍から直接出てくるわけではなく、子どもにとっては単純でもなく平易でもありません。

  いずれにしても、これら2つの方法によったのでは、生徒に計算の意味を理解させることは困難です。これに対して、量の理論によれば、より合理的な第3の方法《帰一法》※で解決されます。すなわち、a[m]の重さがb[ℊ]であるなら、1mあたりの重さは、すでに触れた除法(1)によって、

と求められ、再び乗法(2)によって、c[m]分の重さx[ℊ]は、

と求まります。

 こうして、比例の問題は、内包量(単位長さあたりの重さ、つまり線密度)の問題に帰着されますから、生徒にもわかるくらいごく自然に解決されます。

※比例関係が明らかな2つの量の関係があるとき,一方を1にしたとき(単位あたり量)に他方がその何倍になっているかを考える方法

●正比例関数と内包量

 上に述べたのは、1つの物がもっている2つの量を対比する比例で、それらを結びつける内包量が比較的容易に発見できる場合でした。しかし、実在の世界には、2つの変化する外延量を結びつける内包量がかくれているか、それらの変量が遠く離れた物体に属しているかして、比例関係が明確でないことがありえます。

 この場合には、一方の変量xが2倍、3倍、‥‥‥になるにつれて、他方の変量yもそれぞれ2倍、3倍、……になるか否かをみます。もしそうなら、これら2つの変量を結びつける関数f:

は正比例関数であることが結論され、それはよく知られた数学の基本的な定理によって、斉次1次関数※

       y=a×x

によって表わされます。ここで、

は新しい内包量で、比例定数といわれます。なぜこれが「新しい」かというと、この内包量は直接的に構成されるのではなく、正比例関数というものを考えることによって初めて導かれるからです。

 例えば、自動車が一定の状態で走るときの走行距離y[km]とガソリンの消費量x[ℓ]との関係は上の条件をみたしています。すなわち、ガソリン消費量が2倍になると走行距離も2倍になり、ガソリン消費量が3倍になれば走行距離も3倍になり、以下同様です。したがって、走行距離y[km]はガソリン消費量x[ℓ]に比例し、《燃料消費効率》(燃費)とよばれる新しい内包量a[km/ℓ]が生まれ、式

       y[km]=a[km/ℓ]×x[ℓ]

は量の新しい乗法とみなされます。

 こうして、比例には2つの段階のあることがわかりました。前に述べたより単純な比例のことを、数教協では《量的比例》とよび、今述べたものを《関数的比例》とよびます。したがって、内包量を構成する方法にも2つの種類のあることもわかります。すなわち、一つは、すでに説明した典型的内包量で、これは2つの外延量を直接割ることによって得られます。他方は今述べたように、正比例関数を考えることによって比例定数として得られます。

                内包量 には 典型的内包量 と

                       比例定数   がある

 したがってまた、内包量の指導は正比例関数を挟んで前後二つに分かれることになります。

 

斉次(せいじ)とは次数が斉(ひと)しいと言う意味。ここではxもyも1次数です。

水道方式

●水道方式の誕生

 《量の理論》が数とその演算の意味に関心をもっているのに対して、《水道方式》は数の計算手続きの方に注目します。すなわち、人間はどうやって計算するか、またどうやって子どもに計算を指導したらよいか?を考えます。

 《水道方式》は、遠山啓、銀林浩ほか数名の数教協の会員が小学校算数の教科書─通称『赤表紙』─を編集していた1958年に生み出されました。編集者達は、数の計算問題をどう配列するかという「平凡な」問題に直面し、内外の教科書の計算体系を調べて範を求めましたが、驚いたことにそのような体系─小なくとも理論的に満足できる─はどこにもないことがわかりました。そこで、彼等は自分達で、数の計算体系を考え出さなくてはならなくなりました。その結果、意外にも、従来の数学教育の常識がいくつもくつがえされることになります。

●暗算と筆算

 計算体系を樹立するに際して、まず解決せねばならぬ第1の問題は、暗算と筆算の関係のあり方でした。

 多くの国では、数計算はまず暗算の習得から始められ、極端な場合、数の桁数が多くなってもう暗算では処理し切れなくなって初めて筆算に移ります。日本では、1935─1940の国定教科書、通称『緑表紙』が、数学教育改造運動つまりペリー※運動の成果とされ、今日でも多くの支持者がいますが、この一例です。これほど極端でなくても、多くの教科書は、暗算を必然的な過程とみなし、暗算から筆算へという方針をとっています。

 しかし、暗算によって最もよく数概念が養えるという考え方には疑問があります。それは決して証明された考え方ではありません。その上、暗算の能力には個人差が多く、しょっちゅう訓練していないと保持できません。暗算の強制が、多数の数学嫌いを生み出してきたことも忘れてはなりません。

 それでもさらに指摘しなけれはならないのは、理論的には暗算のやり方と筆算のやり方とがまったく異なること、いやむしろ正反対なこと、したがって実践的には、暗算から筆算への転換に際して、子どもの頭の中に大きな混乱を惹き起こすことです。

 以上の理由から、暗算は次のものに限定すべきであると考えられます:

(1)筆算の前提となる基礎暗算(1位数同士の加法のような)。

  このような暗算は当然筆算の前に課せられなくてはなりません。

(2)日常生活に出てくるような有効数字の少ない、例えばラウンドナンバー(端数を処理した切り

  のよい数)のような数の簡単な計算。このような暗算は、筆算に習熟したあとで行われます。

 したがって、次の図式のように進むことになります。

       基礎暗算→筆算→それ以上の簡単な暗算

ペリー(1850-1920)

英国の応用数学者。グラスゴー大学でケルビンの助手を務め,1875年―1882年来日し工部大学校で土木学を教えました。帰国後ロンドン王立理科大学教授。1901年から数学教育の改革を唱え,いわゆるペリー運動をおしすすめました。この運動は小倉金之助らにより紹介され日本の数学教育にも影響を与えました。

●数概念と四則

 数教協が解決せねばならなかった第2の問題点は、数概念と四則計算との関係でした。

 多くの教科書(日本のも外国のも)では、この両者はからみ合って交互に教えられています。例えば、数の合成分解が数概念の基礎として、加法や減法に先立って扱われています。また、多位数の概念の中に、既述(2)のようなラウンドナンバーの計算が混入しています。そして極端な場合、四則の計算が限定された数範囲(例えば20以下)のもとでほとんど同時に課せられるということになります。

 しかし、反対にこの方針は、事態を混乱させ、数概念の明確化を妨げ、計算体系確立を遅らせる結果をもたらしました。そこで、われわれは、数概念と四則を切り離すことにしました。すなわち、

(1)数概念は記述のごとく量の概念にもとづき、タイルをシェーマとして用いることによって

  実現されます。

(2)四則は、合併・除去・分配などのような人間行動から導かれ、それらはタイルの手による

  操作によって達成されます。その際、四則は異なった計算として別個に教えられます。

                                   (『量の理論』参照)

●一般と特殊

 解決を求められた第3の問題は、計算体系をどう確立するかということで、これこそ《水道方式》の核心であり、またその積極的成果でもあります。

 例えば、次のような2つの型の加法を考えてみましょう。

 いったいどちらがやさしいでしょうか。暗算にとっては、有効数字の少ない[B]の方が[A]より明らかにやさしいのです。しかし筆算にとってはどうでしょうか? 筆算の最大の利点は、各位ごとに計算されるというところにあります。すなわち、われわれは、2個の1位数の加法

を行なうだけであって、その際、[B]のような加法は少しも前提とはされません。反対に、[B]では、0を含んだごく特殊な計算

を行なわなければなりません。これはおとなにはこの上なくやさしく思えますが、それを初めて学ぶ子どもにとっては理解はむずかしいのです。

 上記考察からわかるように、筆算の複雑さは、暗算とは逆に、計算される数の大きさに依るのではなく、形の整合性に依ります。したがって、欠位もなく0も含まれない[A]の型の方がより単純だと言うことになります。要するに、筆算においては、より一般的な[A]の方がやさしいのです。

 これまで数学教育においては、漠然とながら、特殊なものほどやさしいと信じられてきました。しかしそのことは教育学的には何の根拠もありません。逆に、少なくとも計算体系のような場合には、一般から特殊へ行く方針をとる方が有効なことがわかったのです。こうして、数学教育上の第3の教義もまたひっくり返されてしまいました。

●分析と総合

 分析と総合の結合は科学の一般的方法ですが、これは筆算の計算体系を確立するのに打ってつけであることに気がつきます。

 すなわち、上で触れたように、すべての加法は次のように最も単純な加法に分解されます。

 これら1位数同士の加法は、もうそれ以上筆算としては分解できない加法の最小単位です。したがって、これらを《素過程》とよぶことが許されます。これに対して前の加法は《複合過程》とよばれます。

 素過程は、筆算を始めるに先立って暗算として習得ずみでなくてはならないので、前に《基礎》暗算と名付けたわけです。素過程が終わったら複合過程に進みますが、これは素過程と位取りの原理との総合と考えることができます。

   [E]素過程     →

                 複合過程 へ

   [P]位取りの原理  →

 次の問題は、どのような型の複合過程を最初に教えるべきか、ということですが、これはすでに前に述べた一般と特殊についての考察から解決されます。すなわち、欠位もなく0も含まない上記のような型が明らかに筆算にとって最も典型的で、これを《典型的複合過程》とよぶことができます。それに習熟したならば、次は欠位があったりいくつか0を含んだりするよう特殊な型に進みます。例えば、

 これらは、《特殊複合過程》または《退化複合過程》とよばれます。

 こうして、筆算の指導は次の3つの段階に分けられることになります。

(1)素過程つまり基礎暗算の習得。

(2)典型的複合過程の習得。ここで児童は多位数の計算の一般原理を身につけます。

(3)特殊な、あるいは退化した複合過程へそれら一般原理を適用します。

 この計算体系にはとりあえず《水道方式》というあだ名がつけられましたが、それは、(1)→(2)→(3)という流れが都市の水道施設に似ているためです。しかし、このあだ名がその後本名となってしまいました。

●位取り記数法の指導

 《位取りの原理》あるいは《位取り記数法》は筆算の要ですから、それをどう指導するかは、計算指導成功の鍵です。したがって古来からも数学教育で、貨幣・計算棒・数図・色板などを使う指導法が考案されてきました。しかし、そのどれもが児童に十分原理を理解させるのに成功していません。

 すでに量の理論のところで、具体物の集合の典型的代表として、大きさ以外に余計な属性をもたないタイルを選び出しました。そこでも触れたように、タイルは容易に結合して1つになる、つまりタイルは結集力が強いのです。タイルのこの性質は位取り記数法を指導するのに都合がよいのです。すなわち、10個のタイルは「十」を表わす1本になり、10本のタイルは「百」を表わす大きな1枚の正方形になります。このようなことは、他の教具では不可能です。

 結合された十タイルを区切りのない棒に置き換え、百タイルを十棒10本の区切りのない1枚の正方形で置き換えれば、それらは、位取り法の新しい単位とみなされます。こうした区切りのないタイルを「かんづめタイル」とよびます。

 さて、多数の物、例えば234個のタイルが与えられたとしましょう。人間はその多さをどうやってとらえるでしょうか? まず、これらのタイルを結合して十の棒を作るに違いありません。23本と余り4個となります。次にそれらの棒を結合して、百2枚を作り余り3本を得ます。それから、これらの単位をそれらの大きさに従って整理するに違いありません。すなわち、ばらの4個のタイルは一の位の箱に、3本の十のタイルは十の位の箱に、2枚の百タイルは百の位の箱に入れるでしょう。

 これらのタイルをその個数を表わす数字で置き換えれば、すなわち位取り記数法

                      234

になります。

 こうした直接経験と対応するタイル操作によって、子どもは位取り記数法と多位数の概念を明確に理解することができます。

●素過程の指導法

 加法の素過程(1位数同士の加法)は次の原則によって分類されます。

(1)《くり上がり》の有無。

(2)0を含むかどうか。

 まず、計算問題は、(1)の原則によって2つに大別され、次に(2)によって「一般」か「特殊」に区別されます。この分類を図式的に示せば、次のようになります。

 ここで2+2と書いたのは、くり上がらず、しかも0を含まない素過程の代表のことで、われわれの見地からすれば、これが最も一般的です。他の記法も同様に解釈されます。このような記法を、《2─9分類法》と呼んでいますが、その意味は明らかでしょう。

 《繰りあがり》および《繰りさがり》は、子どもが最初に出会う《つまずきの石》です。したがって、これまでもさまざまな指導法が考案されてきました。そのうち最も安易なのは、いわゆる《数えたし》で、例えば、

                       7+6

といったたし算では、7の次の数から「はち、く、……、じゅうさん」と6つだけ数えます。これよりうまい方法として、《十の補数》つまり10を作るために、6から3だけ取って7に加えるという方法があります。《数えたし》はあまりにも原始的で、子どものつまずきを克服することができないし、《十の補数》は広範囲の合成分解を必要としますが、それ自身前述のように落ちこぼれを生みます。

 数教協はこれらの困難を克服する第3の方法として、「十」へ至る中間に5をステップとして設定する《5─2進法》を提起しています。すなわち、6以上の数は、5といくつと分解されます。

 これは、5を「かんづめ」にすることによって、合成分解の負担を大幅に制限しようとするもので、児童は一目でタイルの表わす数を判断できるようになります。また、このことは、人間の指の数に対応していて、児童にとっても極自然なことです。

 さらに、実際生活の中では、貨幣には必ず5が介在しています。ふつう9円を用意するのに一円玉を9枚取り出すよりも、5円玉1枚と一円玉を4枚取り出します。貨幣には、5円、50円、500円、5000円があり、計算しやすく使いやすくなっています。

 この5-2進法によって、上のたし算は次のように行なわれます。

 つまり、5と5で十、半端の2と1で3、合わせて13。

 これに対応するタイル操作はきわめて簡単かつ自然なので、児童はその原理を明確に理解できます。

●複合過程の指導法

 2位数の加法(少なくとも一方は2位数)の分類は、2つの素過程を(直積によって)組み合わせることで得られますから、次のような表によって網羅されます。

 次の問題は、この18個の加法の型をどう配列するかということです。既述のように、これらを、一般から特殊へ、つまり0を含まないものから、より多くの0を含むものへと配列すべきだというのが、《水道方式》の主張の論点です。これによって配列すると、次のような図式が得られます。

  3位数の加法の分類も同じように、この2位数の分類と1位数のそれとの直積を作ることによって得られます。

 3位数の(少なくとも一方の数が3位数の)加法は全部で990000題あります。これらの問題をすべて練習させることは勿論不可能です。しかし、これまでの指導法では、どれかの型の問題が抜け落ちて学ばれないということが起こりえました。ところが、3位数加法の上述の分類によれば、異なった型は264個しかないのですから、それぞれの型から適当な問題を選んで児童に練習させればよいということになります。

●水道方式の利点

 このことは、数計算の指導方針を解決するとともに、児童のつまずきを発見することをも容易にしました。

 このように分類された型を配列すると、下の情景のように、都市の水道給水施設ときわめて似たものになります。

 すなわち、222+222型は水源池(水源地)で、素過程はそこへ流れ込む谷川ということになります。水源池からは水が水道管を通ってごく自然に各家庭の蛇口へ流れます。この流れのように、子どもは222+222から200十200などへいたる計算を容易に身につけます。このようなところが水道に似ているので《水道方式》と名づけられたわけです。

 1つの型の計算から、すべての計算問題が流れ出る、これが水道方式の特色であり、990000個の問題が子どもの頭の中にひと塊となって蓄えられます。

 これまでの伝統的な指導法では、特殊から一般への方針をとっていたので、児童は新しい型が出てくるごとにそれを教えられなければならず、子どもはそれを別々に覚え込むほかはありませんでした。児童の問題解決能力の違いも大きく、特に退化型(例えば、3位数と2位数や1位数の加法)での正答率は低下するのが常でした。

 これに対して、水道方式で教えられると、すべての型の計算問題に対して高い正答率が得られ、型の間の正答率の差は、多くの実践によってもごく小さいことがわかっています。

 水道方式のもう一つすぐれた点は、子どものつまずきを救えることです。児童にむやみに計算させるのではなく、その児童がつまずいている型の問題だけを練習すれば、つまずきは容易に克服されます。

  最後に、3位数の加法の計算のやり方を、タイル操作でどうやって説明したらよいかを述べましょう。例えば、

は下に示すように行なわれます。

 減法は加法とほとんど変わりがありません。乗除や小数・分数の場合には、タイルを用いる一方2─9分類法の代わりに《シルエット》※による分類法を採用して見通しの単純化が図られます。これらの説明は割愛します。

シルエット:0以外の任意の数(1から9までの整数)が入る空白の箱

楽しい授業

●楽Lい授業の試み

 数学教育協議会(数教協)は、1973年「楽しい授業の創造」をスローガンに掲げました。当時は、数学教育現代化の失敗のため、数学嫌いが大量に生じ、いわゆる「落ちこぼし」と学力低下の現象は日本でも大きな社会問題になっていました。それまでにも、独自の《現代化》を追究し、《量の理論》と《水道方式》というすぐれた教義をもつ数教協にとっても、当面のこの事態を救い、学校教育をよみがえらせるには、新しい第3の原則が考え出されなければなりませんでした。

 もう1つの積極的な刺激が、当時数教協委員長であった遠山啓によって与えられました。遠山は前年1972年の夏、数人の落ちこぼされた小学生に、空箱を使って連立1次方程式の解法を指導しました。驚いたことに、小学生は、数学に少しも嫌悪の念を抱かなかったばかりか、解法を十分理解したのでした。この経験が、楽しい授業を確立する可能性を与えてくれました。

 その上、教育学的にいっても、数学学習の主観的側面は数学教育にとって最重要な問題であるはずです。生徒が数学を楽しくないと感じていたり、数学に対して受身の態度をとっていたりすると、自分の頭で数字をつくり上げることはできないから、数学は結局現実世界には適用できない《絵空事》に終わってしまいます。数学が抽象的になればなるほど、学習者の主観的側面は重視されなくてはなりません。現代化の失敗の原因の1つは、そうした配慮がなかったことにあります。数学教育の内容が現代数学としていかによく整備され、将来にいかに役立つといわれても、現実に生徒の興味・関心に合致していなければ、ほとんど意味がないことになります。

 しかし、ある教材や授業が現実に生徒の興味・関心に合致しているかどうかは、理念的に決められるものではなく、実際にやってみなければわからないことです。

 この10年間の研究と実践を通して、上述の考えに基づく楽しい授業が多数生み出され、100を超えるゲームや教典などが作り出されました。そのうちのいくつかを以下に紹介します。

実例1:富士登山─ドリルのゲーム化

 このゲームでは、プレイヤーは2個のさいころを振って、その目の和だけ自分の駒を進めます。さいころの目は0から5までの数字でもよいのですが、タイルを描いておいてもよいのです。2人以上の子どもが遊べ、駒の進む道、つまり富士山への登山道は、方眼紙などを区切って自由に作れます。

 子どもはこのゲームを楽しみながら、基礎的な計算に習熟できます。さらにこのゲームの良い点は、進んだ生徒も遅れた生徒も区別なく遊べることです。

実例2:キャップ取り─座標の学習

 6×6の将棋盤の上に、前もっていくらかのキャップ(例えば、牛乳のビンの蓋)を置いておきます。各プレイヤーには手持ちとして10個くらいのキャップを配っておきます。プレイヤーは1つのさいころを2回投げて、最初に出た目だけ、左下の隅から右へ進み、次に出た目だけそこから上へ進みます。もしそこにキャップがあれは、そのプレイヤーはそれを貰い、もう一度やることができます。そうでないときは、逆に自分のキャップを1個そこに置いて、次のプレイヤーと交代しなけれはなりません。

 このゲームの特徴はギャンブル性が強いことで、子どもは(おとなも)我を忘れて熱中します。

実例3:倍数めがね─倍数の仕組みを見る

 まず、10×10の将棋盤を作り、そこに0から99までの数を書き込みます。これを「盤」とよびましょう。次に、2、3、4、‥‥‥の倍数めがねを作ります。例えば、7の倍数めがねなら、やはり10×10の将棋盤様の方眼で、7の倍数0、7、14、21、‥…・にあたる目に穴をあけたものを作ります。このめがねを盤の上に置くと、7の倍数だけが見える道理です。

 子どもは、この教具を使いながらいろいろな事実を自ら発見します。例えば、4のめがねと6のめがねを重ねると、12のめがねと同じになるので、4と6の公倍数が12の倍数と一致することを納得します。

このゲームの利点は、子どもが新しい事実を自分達で発見すると同時に、論理的思考をつかめる点にあります。

実例4:箱の代数─文字と方程式の使用

 キャラメルやチョコレートの空箱を使います。先生がそれらの空箱の中に同じ数を書いたカードを入れて、「2つの箱の中の同じ数のカードの数に、4を加えると10になります。箱の中のカードの数が当てられるかな?」と問いかけます。これはつまり、方程式

を解くという問題です。生徒が解3を出したら、先生は先のカードを引き出して見せ、その答えが合っているかどうかを確かめます。

 この考えを発展させ、2種類の箱を使って連立方程式の意味と解法を生徒に考えさせることもできます。また、生徒達を2つのグループに分け、一方のグループを出題者、他方を解答者にすることによってこの過程をわくわくする数学試合に仕立てることもできます。解答が合っていれば解答者の勝ちですが、正しい解答と出題者の予定した数とが違っていたら出題者の負けとなります。

 代数の出発点は、文字が自由自在に扱えることです。この空箱を文字のシェーマとして使うことによって、子どもはスムースに代数の学習にはいっていけます。すなわち、未知数は、中にただ1枚の数カードのはいっている箱であり、変数は中に無数の数カードがはいっている箱、不定の定数は中の数カードを問題としないから箱そのもので表わされることになります。

 さらに、この出題者・解答者という経験は、科学的研究にとってきわめて意味深いのです。なぜなら、多くの研究において、自然が出題者であり、人間は解答者となるからです。

実例5:「赤と黒」のゲーム─損得の経済学

 トランプの赤札(ハートとダイヤ)をプラス、黒札(スペードとクラブ)をマイナスと考え、正負の数の加減を扱います。

 数人の生徒にカードを5枚ずつ配り、《ババ抜き》の要領で、左の人からカードを1枚取り、右の人に1枚抜かれる、といった行動を順ぐりに行います。手持ちの点数の和が最も多いと思ったプレイヤーは、その瞬間にストップをかけることができます。もしそれがあっていたら、そのプレイヤーはその和だけ得点しますが、そうでなかったら、最下位になります(あるいは、その人の点数の符号を変えます)。

マイナスのカードを引かれると、手持ちの点数の和は結果としてふえることから、生徒は負の数の減法の規則

       a-(-5)=a+(+5)

を容易に納得します。

 このゲームの特徴は、これがきわめて様式化されたものではありますが、債券・債務の行き交う金融市場での取引きのモデルになっていることです。歴史的にも、こうした債券・債務の取引きが正負の数の使用を促したことを考えると、このゲームは生徒の正負の数に対する理解に大きな意義を持つといわなければなりません。

実例6:ブラックボックス─関数の意味

 工学者は、その機構のもつ機能を表わすのにブラックボックスを利用してきましたが、数学者もこのアイデアを関数概念の理解のために用いることができます。

 30cm立方ほどの大きさの空の箱を作り、そこに、入力と出力にあたる2つの穴をあけます。

 関数が例えば

       f(x)=2x+3

であったとしましょう。先生が「5」と書いたカードを入力に入れてみせ、箱のうしろで適当に操作して、出力から「13」というカードを取り出してみせます。

 この単純な装置を用いて、生徒は(変数とは別の)関数の意味を明瞭に理解することができます。

 その上、箱の代数におけるように、生徒を出題者と解答者の2つのグループに分け、解答者が入力を適当に選んで、それに対する出力を教わり、出題者の考えた関数を当てる数学試合の形にすることもできます。

 以上述べたいくつかの実例から、楽しい授業へ入っていくやり方が想像できるでしょう。これまでわかったことは、

(1)各種のゲームを採用することにより、授業は楽しいものとなり、

(2)いろいろな教具やシェーマを用いると、子どもにとって、数学的な形式の背後にある意味が

  容易に理解しやすくなることです。

 これからも、生徒が喜ぶような授業を探求することによって、新しい数学教育の方向を見いだしていきたいものです。